川
金沢区の産業の歴史を地域の特色とともにご紹介します。
田や畑は、自分の家の食料を作るくらいの広さだった。塩場があり、自家用の塩田や塩づくりの釜を持っている家もあったが、塩づくりの作業員として働きに出る家を多かった。給料をもらって、生活に必要なものを買うためである。
このあたりの中通り(諏訪の橋から逗子県道へ抜ける旧道)には、商店が軒を連ねていた。時代によって変化するが、材木屋、雑貨屋、醤油屋、米屋などと今も残っている屋号からも知ることができる。その中でも旅館が多いのは船着き場に着いた荷物を小舟に積み替えて侍従川をさかのぼって運んだということに関係があるかと思われる。
今も呼んでいる屋号には、橋本屋、清水屋、すし屋、柳屋(以上は旅館)、長島屋、西の屋、北店(きたみせ)、中店(なかみせ)新店、たび屋、つけぎ屋、いせ屋、やお屋、室崎(もろざき)屋などがある。その中の室崎屋は東京方面にまで、材木や薪を出荷していた大きな商店だった。
北店は、金澤で味噌・醤油を製造・販売していたただ一つの店だった。金澤、戸塚、逗子、横須賀の一部まで販売していた。材料の大豆は、三浦から船で侍従川をのぼり、侍従橋の辺りから大八車で運んだようだ。