塩場(しおば)
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塩場(しおば)

金沢区の産業の歴史を地域の特色とともにご紹介します。
このあたりの海は遠浅で、塩づくりにてきしていた。他にも塩浜焼、塩垂場(しおたれば)、塩田などと呼ばれて、塩作りをしていたところがある。明治43年に塩の専売制が発令されるまで、大切な産業のひとつだった。

塩の作り方を古老に聞いたところ、以下のような答えが返ってきた。
「砂浜に大きな溜池を掘り、川と溜池をつなぐ溝を作る。満潮時にになると侍従川は海水でいっぱいになり、溝を伝わって池に溜まる。いっぱいになると溜池の水門を閉じる。砂浜に溜池の水を何回も何回もまく。それが熱い太陽の熱と風で乾き、塩気の多い砂ができる。その砂をかき集め、『沼井(ぬい)』と呼ぶ道具にいれ、その上から海水をかけると、砂は残り、濃い塩水がたれる。この汁は苦汁(にがり)がたくさん入っているので、もう一回濾す。この濃い塩水を鉄の窯で煮詰めると塩ができる。この作り方を揚浜式塩田法という。」

この金澤で塩が作られるようになったという古い記録には、1352年、足利尊氏が称名寺に「金澤郷塩垂場を寄付した」という古文書がある。



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