朝夷奈切通
鎌倉幕府が六浦と鎌倉を結ぶ六浦道を開通させるために、山を切り開いてつくられた道路です。
仁治ニ年(1241)に工事が着手されたと記録がある朝夷奈切通は、鎌倉幕府が六浦と鎌倉を結ぶ幹線道路(六浦道)を開通させるために、山を切り開いてつくられた道路です。
金沢・六浦は風浪を防ぐ良港だったため、鎌倉幕府の外港として、物流の拠点となりました。六浦や釜利谷で製塩が始まると、朝夷奈切通を通って、鎌倉に塩が運ばれました。
※地名としては古来から「朝比奈」が使われていますが、国指定史跡の正式名称は「朝夷奈切通」となっています。
注)文章の引用・参照元:
横浜市サイト「歴史色づく横浜金沢」