浦賀道
「浦賀街道は平分村より三浦郡浦郷村に達す」と『新編武蔵風土記稿』に記述があります。
「浦賀街道は平分村より三浦郡浦郷村に達す」と『新編武蔵風土記稿』が述べているように、この道は六浦から浦郷を経て、浦賀に向かう古い街道です。(平分村とは現在の三艘・及び瀬が崎の大部分を指します。)
江戸幕府は、江戸湾に入る船舶を管理するため、元和2年(1616)下田に番所を設けましたが、風波の難が多いのでこれを廃し、享保5年(1720)浦賀奉行の設置とともに番所を移しました。
これと関連して江戸と浦賀を結ぶ陸路、浦賀道も重要度を増すこととなります。
注)文章の引用・参照元:
横浜市サイト「歴史色づく横浜金沢」