金沢未来文庫
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小泉のほとり新聞
海、山、島、木々、舟、人などが織りなす四季折々の八景
Vol 02『金沢八景』
歌川広重が金沢八景を描いたのは江戸時代後期の天保年間の頃とされる。海、山、島、木々、舟、人などが織りなす四季折々の八景を、精緻な筆致で情感豊かに描き、末代まで続く金沢八景のイメージを創りだした。以下は、広重が描いた金沢八景ものの中でも代表的な金龍院版。絵には京極高門(1658-1721)による和歌が刻まれている。
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野島夕照(のじまのせきしょう)
夕日さす 野島の浦に ほす網の
めならぶ里の あまの家々
野島はもとは陸つづきの島で、百戸の漁家があった。この漁村の夕暮は美しく、山頂からは遠く房総の地が望まれた。
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内川の暮雪(うちかわのぼせつ)
木陰なく 松にむもれて 暮るるとも
いざしら雪の みなと江のそら
はじめ釜利谷のあたりをさしていたが、のち関東学院のある内川橋、瀬ヶ崎付近をさすようになった。遠く鷹取山から神武寺へとつづく連山をとりいれた暮雪をいう。
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平潟落雁(ひらかたのらくがん)
跡とむる 真砂に文字の 数そへて
塩の干潟に 落る雁かね
平潟は、野島のふもとから洲崎にかけての地域をいい、潮干狩りで有名であった。また、明治の始めまで、このあたりで塩を焼いていた。
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瀬戸の秋月(せとのしゅうげつ)
よるなみの 瀬戸の秋風 小夜ふけて
千里の沖に すめる月かげ
瀬戸橋付近から秋月を眺めた夜景で、手前に東屋、遥かに墨絵のような平潟湾と野鳥が望まれる。
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洲崎晴嵐(すさきのせいらん)
賑へる 洲崎の里の 朝けぶり
晴るる嵐に たてる市人
もとは山市の晴嵐(さんしのせいらん)といい、朝比奈峠付近の景色を指していた。江戸中頃までは、洲崎にも松並木があり、今でも照手姫のいぶし松など多少の名残をとどめている。
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乙艫帰帆(おっとものきはん)
沖津舟 ほのかに見しも とる梶の
乙艫の浦に かへる夕波
乙艫海岸に帆かけ舟が帰ってくる風景をいう。金沢一帯の海岸線が舟の艫の形をしていたので「おっとも」というようになった。
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称名晩鐘(しょうみょうのばんしょう)
はるけしな 山の名におふ かね沢の
霧よりもるゝ 入あひの声
称名寺のこんもりとした森の中からきこえてくる晩鐘をいう。この鐘は正安3年に北条顕時が改鋳したもので、重要文化財に指定されている。
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小泉夜雨(こずみのやう)
かぢまくら とまもる雨も 袖かけて
涙ふる江の むかしをぞ思ふ
金沢文庫駅の南を流れる宮川上流の南岸から手子明神の付近で、昔は内海がこの辺りまで入り込み、海辺には老松が生い茂っていた。
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