金沢道(保土ヶ谷道)
東海道保土ヶ谷宿から、能見堂を経て金沢へ至る道を金沢道と呼びます。
江戸市民にとっての身近な行楽地、金沢八景へのコースとして、万治2年(1659)刊行の『鎌倉物語』は次のように述べています。
「江戸より見物せんと思う人は、先かたひらより金沢へ来て、鎌倉へ行ば見物の次第よきなり」
つまり、金沢八景を鎌倉・江の島とセットにして位置づけています。 景勝の地としてのピークは、文化・文政年間頃からであり、能見堂をはじめ、各寺院や旅亭が競って刊行した「八景案内図」「一望之図」など沢山の刊行物がその留時を今に伝えています。
注)文章の引用・参照元:
横浜市サイト「歴史色づく横浜金沢」