野島貝塚
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野島貝塚

古代、金沢の沖に浮かんでいた野島は、食料が得やすく外敵や猛獣を防ぎよい土地だった。
<約8000年前>
古代、金沢の沖に浮かんでいた野島は、食料が得やすく外敵や猛獣を防ぎよい土地であった。野島の標高約50mの山頂付近と、北側斜面の2ヶ所に貝塚があり、広さは東西15m、南北10mほどで、深さは2~30mほどである。
検出された貝類はマガキ・アサリ・オニアサリ・カリガネエガイなどで、土器は、底が尖り、繊維質を含んでいるおり、隆線文や沈線文様をつけた深鉢型のもので、縄文早期後半のものである。
検出された貝類はマガキ・アサリ・オニアサリ・カリガネエガイなどで、土器は、底が尖り、繊維質を含んでいるおり、隆線文や沈線文様をつけた深鉢型のもので、縄文早期後半のものである。
そのほか、叩石・石斧・石楽器と呼ばれる石器類や、クジラ製の骨斧といった珍しい骨角器も出土した。北側斜面からは、ヤマネコの骨、山頂部上層(古墳時代)からはイエネコの骨がそれぞれ出土した。




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