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    Apr 19,2022

    【第25回・称名寺薪能】今回はご存知「殺生石(せっしょうせき)」

    俳人松尾芭蕉の「奥の細道」の中にも栃木県那須町の山腹を訪れた時に、 「石の毒気いまだほろびず、蜂蝶のたぐい真砂の色の見えぬほどかさなり死す」とある。 かの地には「殺生石」が鎮座し、美女に化けた「九尾の狐」が退治されて、毒石に変心、近寄る鳥や獣を殺しつづけたとの伝説。また、近ごろ、この石が真っ二つに割れたのが発見され、話題になった(3月15日中日新聞) 今回、櫻間右陣さんにより演能される作り物の石がまっ二つに割れる大掛かりな演出で、中から後シテの狐の姿をした妖怪が現れるが、玄翁の弔いに改心して消えていくというストーリー。おどろしい赤い毛、金の面、きらびやかな衣装も必見!
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    Apr 19,2022

    源範頼と太寧寺

    遠江国蒲御厨に生まれたことから「蒲冠者」と呼ばれた範頼は頼朝の弟にして義経の兄。源平の戦いでは、頼朝の挙兵に応じて義経とともに軍を率いて上洛し、木曾義仲を討った。さらに一の谷、壇ノ浦の戦いで平氏を破り、九州に遠征したが、謀反の疑いをかけられ、1193年、伊豆の修善寺で頼朝側に殺された。碑文によると、梶原景時に攻められた範頼は火を放って自害。灰の中から首は見つけ出され、頼朝の見分の上埋葬された。太寧寺の寺伝では、鉈切りまで逃れて、海に向かって建つ太寧寺に入って自害されたとされている。太寧寺は、はじめ(現、関東学院大学附属小学校地内)にあったが、昭和18年、軍の飛行場建設の為に片吹に移転した。また、太寧寺の名は、範頼の法名から付けられたもので、寺には位牌や画像などが寺宝として遺されている。悲しき流転の道を歩かなければならない範頼を象徴している様に思えるのは私だけだろうか?
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