Nov 16,2018
ずいぶん昔のことです。朝比奈峠のてっぺんに大きな地蔵さまがあつたそうだ。
そのころの六浦は広い海にかこまれていてね
塩づくりをしていたじいさまや ばあさまやは
鎌倉まで重い塩を運んでいて、峠のてっぺんに
ついた時には、もう汗びっしょり。お地蔵様のまえですわりこんで
しまつた。
すこし休んで、大事な塩をひとつまみお供えして、十二所
の方へ下っていったそうだ。
塩も全部うりきれ、また峠の地蔵さまをふと
みると、行きにお供えした塩がない。まさか
お地蔵様がなめたんじゃなかろうーな。
お地蔵さまはただ笑うだけ。ほかの村人た
ちも口々に塩がなくなったことを言っていた。
「あのお地蔵さまは塩をなめさるそうだ」と
たちまちうわさになったと。そのうち誰いうともなく
このお地蔵さまを”塩なめ地蔵さま と呼ぶように
なったそうな。
鎌倉時代から室町時代にかけて、地蔵の信仏が
さかんな時代で、鎌倉もいろいろな名前のついた
地蔵が多いです。塩なめ地蔵は朝比奈切通し
にありましたが、今は光触寺境内に残っています。
地蔵さまがなめたといえあれている塩は朝比奈あたりに住んで
いた人々がもったいないと持ち帰ったそうです。
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