塩なめ地蔵
金澤に古くから言い伝えられてきた、未来へ残したい民話シリーズ第一弾。
ずいぶん昔のことです。朝比奈峠のてっぺんに大きな地蔵さまがあつたそうだ。
そのころの六浦は広い海にかこまれていてね、塩づくりをしていたじいさまや、ばあさまやは、鎌倉まで重い塩を運んでいて、峠のてっぺんについた時には、もう汗びっしょり。
お地蔵様のまえですわりこんでしまつた。
すこし休んで、大事な塩をひとつまみお供えして、十二所の方へ下っていったそうだ。
塩も全部うりきれ、また峠の地蔵さまをふとみると、行きにお供えした塩がない。
まさかお地蔵様がなめたんじゃなかろうーな。
お地蔵さまはただ笑うだけ。
ほかの村人たちも口々に塩がなくなったことを言っていた。
「あのお地蔵さまは塩をなめさるそうだ」とたちまちうわさになったと。
そのうち誰いうともなく、このお地蔵さまを”塩なめ地蔵さま と呼ぶようになったそうな。
鎌倉時代から室町時代にかけて、地蔵の信仏がさかんな時代で、鎌倉もいろいろな名前のついた地蔵が多いです。
塩なめ地蔵は朝比奈切通しにありましたが、今は光触寺境内に残っています。
地蔵さまがなめたといえわれている塩は、朝比奈あたりに住んでいた人々がもったいないと持ち帰ったそうです。